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私は伝えたい半田の歴史を
現在の半田地区には知る人ぞ知る。半田砂(磨き砂・伊勢砂)にまつわる歴史が隠されている・・・・。私はそんな歴史を守り、皆様にお伝えしたく、筆をとりました。時代はさかのぼり江戸時代、当時は洗剤というものはございませんでした。当時お茶碗やお鍋を洗うのに重宝にされていたのが、磨き砂であった。ここ半田山は、その磨き砂の地層が豊富にあったとゆう。当時は現代のようにブルトーザーなどの機械はもちろんありません、すべて人の手で、磨き砂を掘ったそうです。その方法は地盤のしっかりしている磨き砂地層だから出来た、アリの巣のように穴を掘っていく手法だったそうです。そして半田山の洞窟の歴史は始まったそうな。その手法は昭和まで伝えられ、人の手で掘られた洞窟では世界最大級の全長20キロもあったと伝えられている。そして時代は世界大戦を向える事となりました。当時軍部により、洞窟は三菱重工にてゼロ戦のプロペラを作っていたそうです。また負傷者などを守る地下の病院、地下工場としての歴史を過ごす事になります。日本は終戦を向かえ高度成長の時代に入っていきます。戦時中創設者伊藤文二は海軍の戦艦に乗船していたこともあり、半田に洞窟があり、そこから天然の泉が湧いており、軍部や村の民が飲み水やお風呂に使っていると噂を聞き、当時市内にて旅館を経営していた文二は、この洞窟と天然泉を利用して、温泉とお食事処を作るために動いたのであります。当初はみなに反対されたようでございます。そして昭和37年とうとう文二の思いは遂げられる事となりまし |
悲しい時代
ちょっとむかしのお話じゃ、その巨大な洞窟では、第二次世界大戦中には、3000人もの軍隊が秘密兵器を造っておったそうで、半田の洞窟は大きな地下工場になっておったそうな。話では、三菱さんがゼロ戦のプロペラを造っておったそうで、連合軍の一トン爆弾が雨霰と落下して地上では爆風にいく十もの尊い命がまるで木の葉のように散ったそうじゃよ、悲しい時代じゃった、もう戦争はおこらんようにしてほしいものじゃ「平和が一番」資料「三重県庁」県史あれこれ
話:二代目伊藤安文
編集:三代目伊藤真司 |

昭和37年当時の三重県知事田中さとる氏 |
創立者伊藤文二 |
| 昭和37年創設者(故・伊藤文二)により、磨洞温泉の歴史は始まりました。写真の方が磨洞温泉の名付け親(当時の三重県知事/田中さとる氏)ご覧の通り、当時は掘っ立て小屋から始まったそうです。 |
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当時の洞窟の中にあった「お風呂」では、男女仲良く混浴する風景が映し出されている。
(残念ながら、洞窟移転のために現在は洞窟にはお風呂・卓球・釣堀はございません) |
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| 創設者伊藤文二は、かなりのアイデアマンだったのだろう、洞窟の中には、卓球・釣堀まであったとゆう。 |
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●津の隠れた郷土土産
むかし、むかし江戸時代より、安濃津(現津)の半田では、磨き砂(白い砂)の地層になっておったそうじゃ。当時は、洗剤もなく、お皿やお鍋を、洗うのに、磨き砂は、かかせないものだったんじゃよ。磨き砂を、掘るのはすべて、スコップとつるはしで、人間の手で、掘ったんじゃよ。深く掘らんと、磨き砂の地層はなく、下へ下へ掘りつづけていったそうな、そして採掘後にできた巨大な洞窟は、半田で一番深い穴で、奥行き20キロもあり、地下4階層各階1間半くらいに、450屯もの支柱がまるで、ありの巣のように堀り残されて、この空洞窟の暗黒の世界が広がっておりますのじゃ。(残念ながら現在は、この巨大な洞窟は、観光にも使われず、入口は閉められ、神秘のまま封印されておりますのじゃ)現在も、ここ半田地区では、磨き砂を、掘りつづけている業者さんがあり、現代でも、磨き砂を使っているのです。当館のお土産でも、販売しており「なつかしい」と買っていかれるお客様もたくさんおられますよ。わしは、科学洗剤より、この歴史のある磨き砂が、大好きじゃよ!
話磨き砂堀り名人のおじいちゃん
資料「三重県教育文化会館」より三重県の伝統産業>伊勢砂より |
次のお話は巨大洞窟の思い出。今の洞窟への移り変わりへと続く |
●巨大な洞窟の思い出
私が、まだ小学生の頃、友達とよくこの洞窟で遊びました、夏はめちゃ涼しく私たちの隠れ家としては、最高の場所だったのです、洞窟には地下水のたまった大きな池もありました。洞窟の地下2階では、地下水の川になっており、私たちは、ゴムボートを持ち込み懐中電灯一つで、探検したものです、今思うと、ちょっと危険な冒険だったかな。夏休みには、自由研究の宿題では、洞窟の研究をして、洞窟の中のめくら海老とかこうもりを研究して、特賞を2回もいただき、うれしい思いをしたこともありました。その頃に、古い注射器や点滴のガラスの入れ物を、たくさん見つけて、なんかびっくりした思い出があります。そんな思い出の洞窟も今は、入口を封鎖され、山の下の神秘の世界になってしまいました。私は、日本でも人口的に作られた洞窟では、珍しいと思います、いつの日か、僕たちの思い出の洞窟にまた探検したいと思っております。(危険ですので、絶対まねしないでください)(*^_^*)
話:三代目若旦那 |
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| 残念ながら、現在は閉鎖になった全長20キロもあった、巨大な洞窟は、写真にだけ思い出として残っております。いつの日か、閉ざされたミステリースポットが津の名所として、皆さんの前にあらわれる事を夢見ております・・・・・・さて、現在の洞窟って?もちろんありますよ、若干規模は小さくなりましたが、津市の珍名所として(^◇^)多くの皆さんに親しまれておりますよ。さて次のお話は、二代目伊藤安文と現女将伊藤美代子の時代へと続きます。 |
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次のお話は、現在の洞窟のお話じゃよ |
今の洞窟は奥行き250メートル
ちょっとかわいい洞窟じゃの、ほんでも中では200人ものおきゃくさんが入れるそうじゃよ、中では伊勢湾の幸や松阪肉を焼いて食べれるそうじゃよ。冬は鴨鍋・牡丹鍋・鹿鍋が暖まるぞ。こんな歴史を秘める洞窟のお話は、今日はここまで。今度はお客様が体験するばんじゃよ。 |
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| 現在お座敷として使われている洞窟は、涼風荘だけになりました。以前は涼風荘初代洞窟座敷や、美女の里という洞窟座敷がありました。ちょっと寂しいよね。このマップと写真が現在の洞窟じゃよ。伊勢路のオアシスとして今もなおこの神秘的な空間に多くの方がお越し頂いております。 |
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洞窟のお話は、これからもつづく
お話協力:洞窟爺さん
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