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~産業遺産を守り~洞窟の歴史
昭和37年7月磨洞温泉涼風荘開業
磨き砂の元である岩を掘りだしたは1600年江戸時代(慶長~元禄)
精米時の研磨剤として
半田地区の磨砂は,1600年代の半ば頃から,精米時の研磨剤として使用された,との文献がある。 三重県の資料によると,最盛時の昭和25年頃には約2万トンほど採取された。 現在の用途は研磨剤とセメント混入用などで,一時は洗剤としても利用された。
二上火山の火山ガラスが河川に流れ込み,津市半田地区という狭い範囲に厚く堆積した,と言う説がもっとも有力らしい。Ⓡ中田文雄氏 (資料参考)地質情報ポータルサイト (写真)ウィキペディア戦時中は軍事工場にも利用
歴史ある半田の洞窟
2次世界大戦末期に,戦闘機を作るための地下工場として掘削された跡地、坑道部分を彩色してあります。 全幅は150mほどで,2段構造となっていたようです。 Ⓡ中田文雄氏 (資料参考)地質情報ポータルサイト (写真)米軍資料
(戦争資料館) 津市香良洲「香良洲歴史資料館」戦争跡を振り返る
ゼロ戦のプロペラ工場に
海軍航空本部は三重県所在の津海軍工廠、及び海軍省管理工場の三菱重工業㈱第三製作所(鈴鹿)、愛知航空機㈱、住友金属工業㈱プロペラ製造所を津市半田一帯の磨き砂採掘場を選定し疎開を決定します。昭和20(1945)年1月、横須賀海軍施設部は佐藤工業㈱に地下工場設営を130万円で発注、佐藤工業㈱は下請け業者数社を指揮し、採掘場の拡張、三菱用地下工場への改装を開始、3月、住友用地下工場を着工、6月、三菱地下工場に工作機械300台が設置され操業を開始、住友用地下工場は完成した坑道に工作機械271台(従業員752名)が設置され操業を開始、完成を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の煥発を受け、16日、停戦を迎えます。
三菱地下工場は工作機械540台を設置、従業員1,500名を、住友地下工場は同640台、4,500名を配員予定でした。<主要参考文献>『戦略爆撃調査団報告書 報告第二十号 日本の地下航空機生産』(写真)産経ニュース明治から昭和初期は農業と並ぶ産業へ
庶民に愛された半田砂
大正から昭和の前半期に最も盛んとなり、「三重県統計資料」によれば、1915(大正4)年の生産高は332万500貫(約1万2450トン)となっている。また、同書の1939(昭和14)年の津港からの磨砂の移出高は1313トン、翌40年は1万7423トンとなっており、県内や名古屋、和歌山、四国・中国地方に向けて積み出しされた。戦後も十数万トンが移出されていたようで、磨砂生産は中勢地域の代表的な地場産業だった。しかし、合成洗剤の普及により磨砂の需要が減少して生産も縮減した。近年は生産高がわずかになったが、無公害洗剤としての磨砂を見直す声もある。
このように、阿漕火山灰層は、三重の地史を探る重要な資料であるとともに三重の産業を語る貴重な資料ともいえる。 (資料)三重県環境生活部文化振興課県史編さん班 磨き砂販売戦争から帰還した先代
一代目(故)伊藤文二
昭和20年終戦、文二は市内で旅館と海の家を営んでおり、先見の目があったと言われる文二は、戦時中に地下工場の事を知っていて年中18度と一定の温度に目を付けて浜焼きをそのまま洞窟内にもってきたとされる。洞窟内は火山層で自然に湧き出す鉱泉(カルシゥム単純泉)は硫黄の匂いがしたそうです。それが後の昭和37年7月磨洞温泉の創業となりました。当時文二の友達であった吉川氏と共に洞窟を利用した施設を始めました。文二は「磨洞温泉涼風荘」吉川氏は「美女の里」(現在は閉館)を開業し、半田には2軒の洞窟座敷があったそうです。創業当時の涼風荘
昭和の良き時代
文二と、美代子の父でもある若林歳男は、修行先で兄弟弟子であったことがきっかけで、安文と美代子の出会いとなった。(故)若林歳男は市内で、旅館、魚屋スーパー、畜産、練物工場を営んでおりました。魚屋の出の美代子は、涼風荘に女将として嫁に入り、先代時代の仲居頭(通称:魔女)に厳しく育てられたと聞いております。その後女将としての基礎を作っていく。そのひとつとして、昭和50年三重国体の開催に合わせて、涼風荘別館(現涼風荘)の新築工事。創業当時の洞窟座敷から昭和60年に現洞窟座敷に移転を決断。男勝りの女将のファンも多く昭和の時代を乗り越えてきた。磨洞温泉の名付け親
当時の三重県知事「たなかさとる氏」
磨き砂の「磨」洞窟の「洞」をとって磨洞温泉とし、(※)山から涼しい風が吹くことから「涼風荘」と名付けもらったそうです。(※)山から吹く涼しい風はニスイの凉。川から吹く涼しい風はサンズイの涼。 三重県知事(故)田中覚氏マッシュルーム栽培
創業当時の女中(仲居)さんたち
洞窟の中に枠く温泉(現在はありません)
地下風呂
創業当時の磨洞温泉涼風荘本館入口(現在はありません)
半田街道くねくね道の側道
宿泊用に建てられた
涼風荘別館(現在の涼風荘)
観光客がみかん狩りを楽しんだ
文二は、さらなる戦略としてみかん山を完成させた
添乗員だった二代目
二代目(故)伊藤安文
文二の次男安文は、当時添乗員の仕事をしており文二が呼び寄せて、共に営むことになった。当時は伊勢自動車道も「久居IC」が終点になっており、久居IC付近には多くのドライブインがあったそうです。添乗員時代のノウハウを活用して「お伊勢参り」の道中の昼食の場として観光バスが毎日入っていたそうです。文二(享年60歳)が若くして他界し、伊勢自動車道伊勢ICまでの開通と安文にとって何度か転機が訪れたが、商売を続けていくことを決断した。職人気質の安文は、毎日早朝に市場に仕入れに出かけていくのが楽しみだった。自然の幸を自ら採りに行くのが好きで「わかめ」「竹の子」「わらび」そして猟師(鳥撃ち専門)だった安文は、「キジバト」「鴨」をメニューに取り入れていき現在も名物料理「鴨鍋」である。竹の子の佃煮や鳥ミンチ鍋をまかないで作り、家族や従業員に食べさせていたようです。魚屋の娘
一代目女将 伊藤美代子
文二と、美代子の父でもある若林歳男は、修行先で兄弟弟子であったことがきっかけで、安文と美代子の出会いとなった。(故)若林歳男は市内で、旅館、魚屋スーパー、畜産、練物工場を営んでおりました。魚屋の出の美代子は、涼風荘に女将として嫁に入り、先代時代の仲居頭(通称:魔女)に厳しく育てられたと聞いております。その後女将としての基礎を作っていく。そのひとつとして、昭和50年三重国体の開催に合わせて、涼風荘別館(現涼風荘)の新築工事。創業当時の洞窟座敷から昭和60年に現洞窟座敷に移転を決断。男勝りの女将のファンも多く昭和の時代を乗り越えてきた。昭和50年三重国体の開催に合わせて改装工事
涼風荘別館(現在の涼風荘)
昭和60年本館から別館へ洞窟も完全移転
鬼の入口がインパクトで人気になった
1962~
創業当時の洞窟
マスコミの話題に
マッシュルーム狩り
釣り堀・卓球場まで
洞窟風呂
世界の秘境
~産業遺産を守り~歴史は昭和から平成へ
昭和37年7月磨洞温泉涼風荘開業
鳥羽相差で修行を終えて
三代目 伊藤真司
長男伊藤真司は、修行を終えて家業を手伝うこととなる
当時はまだパソコンが世に認知されていない時でしたが、ある方からのアドバイスでコンピューターをすすめられ「ワープロ」を始めたのがきっかけで、Winを購入して、独学でホームページを開設する地下風呂の復刻版
洞窟貸切風呂の完成
創業当時を懐かしみ「洞窟風呂」を求めてお越しになるお客様の声にお応えする形で、平成18年に旅館リニューアルに伴い「洞窟風呂」を復刻版として作り、貸切風呂として今も人気です。
湯処森乃泉を新築工事
歴史ある半田の洞窟
平成18年湯処森乃泉を新規オープンさせました。カラオケルームやコインランドリー、湯上り処も併設して1日のんびり過ごしていただける
玄関やロビー、館内、客室をリニューアル工事
昭和レトロなふ雰囲気を
平成18年昭和の旅館のよい雰囲気を生かそうとあえて、古いものをのこしてリニューアルをいたしました。
子育てと両立して
二代目女将 伊藤和美
若女将として家業を手伝いながら大女将の補助や子育てに奮闘
中伊勢温泉郷設立とご当地グルメ
地域の連携を大事にしたい
平成25年今まであまり連携のなかった「津市、名張市、伊賀市」の温泉宿泊施設の有志でこの地を盛り上げようとスタートした「中伊勢温泉郷」ではこの地では初となる「湯めぐり手形」などいろんな事業にチャレンジしました。
またご当地グルメ「津ぎょうざ」も当時の板場アレイシェフにて開発して地域イベント等にも積極的に参加しました。昭和の名物看板鬼の入口が大正の鬼瓦に
洞窟座敷入口リニューアル
名物でした鬼の口の看板が台風で飛んでしまい、大正時代の鬼瓦を設置、また違った雰囲気になって映えスポットにもなる
バケーションレンタルRyoufu-Gardenオープン
令和2年3年コロナ禍が全世界をロックダウン
コロナ禍で売上激変、今までにないピンチを迎えた。事業転換や違う形の旅館を考えて、今まではライバルだった「キャンプ場」「RVパーク」「民泊」なども取り入れコロナに負けないと地域のみなさんの協力を得て「さまざまなプロジェクト」を立ち上げた。
住所
三重県津市半田2860-1
T: 059-228-8413
(受付:AM10:00~PM19:00)
宿泊
チェックイン
PM15:00
チェックアウト
AM10:00
定休日:不定休
営業時間(日帰り)
(LO13:30)
PM18:00~PM22:00(LO21:00)
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